こんな世界を君とふたりで
あの時確かに俺の手は紅く染まっていた。
皆と雪まみれになった後は、ジーニアスの家で昼飯をご馳走になりマリカーやスマブラで散々盛り上がった。もちろんそれはゼロスも同じであったのだが、ふと手元が視界に入るたびに鼓動の早さが少しだけ増した。
自分の部屋のベッドへ倒れるように沈み込む。今部屋の電気は付いていない。生まれた時から変わらず住み続けてきた家だ、暗がりでも間取りやどこに何があるかぐらい見えなくとも身体が覚えている。
そう、生まれてから17年、ゼロスはここで暮らしてきた。母と手をつないだこと、父に肩車をしてもらったこと、妹とケンカをしたこと、幼き日の記憶は時間と共に少しずつ薄れてきてはいるものの、確かにこの胸の中にある。
日々の積み重ね、人との出会い、それらを経てゼロスは今ここにいる。当たり前と意識することすらないほど当たり前のことだ。疑う余地などあるはずもない。一つ一つを噛み締めるように思い返す。どれもこれも他でもない、この自分が経験してきたことだ。
それなのに。
己を包んだ、あの紅い、真っ赤に染まった、あの雪は。
一体なんだというのだ。
友人たちが次の行動を決めていたあの時、輪の中でも後ろの方にいたゼロスの行動は他の面々には気付かれていなかった。
少しずつ後ずさり、ロイドの後方へ回り込む。先程顔面に雪玉を近距離で投げつけられた仕返しをしてやろうと企んでいたのだ。
周りは誰もゼロスの動きに気付いていない。内心くくく、と笑いながら、しゃがんで雪をすくう。握って固めようとした瞬間、それまで自分を包んでいたはずの色彩がおかしくなった。
(え…)
掌の乗せた雪から視線が外せなくなる。雪といえば、その色は白のはずなのに、どうして。
周りから音など一切消えていた。世界に自分ただ一人になってしまったような、そんな気がしてくる。いや、そもそも世界に自分以外の人などいたのだろうか。
「あかいゆき」おそらくはそう呟いたのだと思うが、その響きが何かをフラッシュバックさせる。
益々思考の波にさらわれてしまいそうだった。
その時、ゼロス、と己の名を呼ぶ優しい声と、肩にあたたかなぬくもりが、その波から救い上げてくれた。
あれで世界に正しい音と、色彩とが戻ってきた。ロイドはいつもそうだ、ゼロスの世界を正しくしてくれる。あの時だって…。
あの時?あの時っていつだ?
暗い部屋に一人きり、ロイドがいない、明るくない、一人きり。波から救い上げる手は、ここにはないのだ。
沈み込んでいく。
そして辿り着く
母の死と呪いの言葉
妹からの憎しみ
ベッドから降り、ふらふらと窓際へと歩み寄る。外を見たいわけではなかった、なんとなくだ。
すると暗いためか、窓ガラスに自分の姿が映っていた。まるで鏡のようだ。ぼんやりとはしているが、確かにゼロスの姿を映し出している。
まばたきを一つ、ゆっくりとしてみた。すると目の前の自分の姿が変化する。変化する、と言っても、それは結局自分でしかなくて、ただ単に格好と少しだけ雰囲気が大人びていた。あと5年もしたら、ああなるのだろうか、なんて考えてみる。
別に驚きはしなかった。だって、これもゼロスなのだ。ピンク色のノースリーブの上着とアームカバー、白くだぼっとしたズボンを纏っている。背中にはきらきら光る二対の翼が見えていた。マナの翼が、ふわふわと浮かんでいる。
そのどれもが紅く染まっていた。全身が真っ赤だ。まるで、罪の証のようにも見える。きっと自分は今穏やかな顔をしているのだろう。だって、鏡の向こうのゼロスも同じ顔をしているのだから。
すっと右手を持ち上げていくと、向こうは左手を持ち上げていく。ゆっくりゆっくり手を伸ばす、伸ばされる。
まさに触れようとした、その時だった。自室のドアが大きな音をたてて開かれた。
「ゼロスっ!」
大声をあげ、息は絶え絶えなロイドがこちらを睨むように見ている。今夜中だよな、なんて場違いなことが頭をよぎった。
そう広くない部屋だ、ドアから窓際まで大した距離があるわけでもない。それなのに、まさに全力、そんな勢いでロイドが駆けてくる。
と同時に、ぎゅっと抱きつかれた。窓ガラスに背を打ち付けてしまったが、それよりもロイドの様子が心配だ。一体どうしたというのだろう。
「ロイドくん?」
呼びかけても、ロイドは顔をあげようとはしなかった。一層力を込めて、肩に顔を埋めてくる。
頭を撫でてやりたくて、でもこんな手でいいのだろうかと戸惑っていると、ますます力が強くなる。どんだけ馬鹿力なんだ。知ってたけど。
なんだかおかしくなってきた。今この手は紅く染まってはいない。少し安心して、ふわり、と髪に触れる。すると、また力がかかる。大分苦しかったが、その苦しさはどこか甘さをともなっていた。
そのまま撫で続けていると、がばっとロイドが顔をあげる。涙でぐちゃぐちゃなのに、とてもキレイに見えた。
「ゼロスは…っ、ゼロスは…っ」
「うん」
「ここにいるんだ!」
「…え」
「ここに、いるんだからなっ!」
泣きながら告げられて、泣かせているのが自分だということと、その内容に、頭がいっぱいになる。ああ、もう、どうして。
どうして、お前は。
「分かってんのか、ばかゼロス!」
「…うん」
本当は分かってなんかいなかったんだ。でも、いつも君は気付かせてくれる。言葉と、ぬくもりをくれる。
二人してずるずるしゃがみこんで、散々泣きあった。止まらなかった。止めようとも思わなかった。衝動のままに、ふたりして泣き続けた。
どのくらい時が経っただろう、ロイドは腕の中で泣き疲れて眠ってしまった。確かなぬくもりが、ここにはある。
ふと後ろを振り返ると、外は少しずつ明るみを増してきていた。
ガラスはただのガラスに近づき、ほとんど鏡としての機能はなくなっている。
まさしく今が夜明けの瞬間に違いない、明るく明るくなっていく。その明るさに消されるかのように、鏡の向こう側が見えなくなっていく。実際もうほとんど見えていなかった。それでもどんな顔をしているのか分かるのは、やはりそれが自分自身に他ならないからだ。
きっと、互いに、笑っている。
(お前も、がんばったんだよな、その世界で)
よかったな、そう聞こえた気がした。これが最後だった。
夜が終わりを告げる。大陽に包まれて、夜は眠りについたのだ。
また、目覚める、その時まで。
こんな世界を君とふたりで
幸せになれるかな
幸せになりたいな
あの世界ではそう望むことは許されなかった
許さなかった
でもこの世界でなら
しあわせになれるかな
しあわせになりたいな
君と
ふたりで
2008.01.27(発行)
2009.08.21